川俣地区 伝統野菜 「川俣菜」

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川俣菜の歴史

大正時代には川俣で栽培されていたことはわかっていますが、どこから伝来したかなど、詳しいことはわかっていません。

 

地元には、下の3つの説が語り継がれています。

 

1.平家落人説 (鎌倉時代
壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落人がこの川俣に逃げ延びたと言われており、その際京都から持ち込まれたという説。

 

2.川俣温泉説 (江戸中期から)
江戸中期に本格開業した川俣温泉に、湯治客が持ち込んだのではないかという説。

 

3.西沢金山説 (明治30年以降)
西沢金山(川俣地区の奥山地にある鉱山)の鉱山関係者が、冬場の貴重な野菜として持ち込んだのではないかという説。

 

いろいろな説がありますが、高冷地川俣の気候風土に合った野菜(在来野菜)として、大切に育てられてきました。